東日本大震災から2年がたとうとしています。
あの時は、直前に祖父の不幸があり
葬儀中に計画停電が行われるか行われないかと悶々としていたのを覚えています。
トイレにはバケツに入った水が用意されていて「あぁ、停電すると手を洗うのもままならないのか」と電気の有り難味を痛感させられました。
いかに「普通」が「大切」な事なのか。
色々と考えさせられました。
テレビで見た被災地の様子は、映画のワンシーンのように現実味が無く
「何か大変な事が起こった」と頭では理解していましたが、気持ちが付いていかないというのでしょうか・・・
当院の建つ団地内でも、瓦が落ちてしまった家・壁が崩れてしまった家などありましたが、
私自身は、仕事を終えて町中が停電しているのを観て少しずつ実感が湧いてきたという状態でした。
何か出来ることはないかと、当院から湿布や包帯などを寄付させて頂きました。
あれから2年。
現在は、復興ボランティアの数が減って来ているそうです。
私が怖いと思うのは「人々の記憶から段々と忘れさられてしまうのでは」ということです。
災害というのは「大丈夫、私には関係ない」などと安心しきっている時こそやってくるものだと聞きます。
私も、それまではたいした備えもしてこなかったので偉そうな事は言えないのですが、あの日以来食べ物を備蓄したり車の給油を早めに行うようにしたりしています。
「私に何かできることはないか」
微力ではありますが、3月11日に来院された患者さまに保存食をお配りしたいと思います。
少しでも、防災意識を高めて頂ければ幸いです。
最後に、拙い文章ではありますが一日も速い被災地の復興と亡くなられた方々のご冥福をお祈りして締めの言葉とさせて頂きたいと思います。